開店して一週間 なにぶんにも両親をはじめ皆さんの大反対を押し切って始めたものですから だれひとりお祝いにも来てくれない寂しいものでした。
アドバイスをいただいたものの実際の営業についての細かいことは解りませんでした。 見習うべき同業者(喫茶店)もまったくありませんでした。 素人の私が一人で考えなければならなかったのです。 若輩でしかも喫茶業について全くの無知であった私は 一体何をしたらいいのやら解らずただ無我夢中でした。
お客様のほとんどが京大(京都帝国大学)か三高(第三高等学校)の学生達でした。 そして、特筆すべきは開店して三年間ぐらい女性のお客様がなかったのです。 当時の女性は大変慎ましくおてんばを嫌ったのです。
店の中が透けて見える飲食店は「恥ずかしい」という印象が強かったので なかなかお客様が入ってくれません。 何しろロンドンの喫茶店の設計をそのままマネしたのですから無理もありません。 そこで分厚いカーテンをとりつけるなど色々と創意工夫をし、 お客様が入りやすいように改善いたしました。
開店してから三、四年間はぎりぎりの経営状態でした。
はじめてから五年(昭和十年頃)なって同業の喫茶店がボツボツ現れるようになりました。 私の店にもお客様がたくさんきてくれるようになりました。 創業六年目ぐらい商売にもようやく目鼻がついたころでした。
昭和十一年の正月のことでした。 それまで勘当された私に何の音信もなかった父が友人五人を連れて店を尋ねてきてくれたのです。 親子で涙を流して喜び合いました。 初めて親孝行ができました。 こんな嬉しいことはありませんでした。 続いて兄や姉も来てくれるようになりました。
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